私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

好きなことをしているのにしんどいのは何故?

今年も目標を立て行動をしてきてよい感じに夢を叶えています。

好きなことをやりたいようにやっている、なのに不幸な感じが、重たい感じがただよってしまっていました。

少し立ち止まって見渡すことが必要だと思い、時間を取って書き出しをしました。

忙しい
疲れている
気がせいている
不安
不安定
間違っているのだろうか?
余裕がない


最近は仕事で農業に携わりまた自分でも畑をやり、やるべきことが増えてきていますが、それは喜ばしいことでもあります。今まででいちばん、まっとうに忙しい。好きなことで予定が埋まっているのですから。

でも、なぜかしんどい。自分のキャパシティを超えているのでしょうか?確かに、昨年は山村でよりゆったり暮らしていたので、それより情報・物・人が多く、さばくのが大変かもしれません。でも覚悟の上で来ましたので、それほどでもないはず。

ではなぜだろうか?そしてどうしたらよいのか。
わたしが思うこと。


1、新しいことをするのは、例え好きなことでも慣れるまで負担がかかる。そこを分かって無理したり張り切りすぎたりしないこと。場に慣れる。関わる人に慣れる。扱う物に慣れる。それなりに時間がかかるのです。似た経験はしたことがあっても、今のココのこの状況は初めてなはず。新しいものとして一つずつ馴染んでいく意識を持っているとよい。



2、真面目になりすぎない。
ちゃんとやろう病については以前記事にしていますが、「しっかりやらないと」「ちゃんとやらないと」「きっちりやらないと」「完璧にやらないと」が頭の中の口癖だと、つらいです。また「私はこうあるべきなのに」とか。例えば「徳のある人間であるべきだから、こういうことは言っちゃいけない」なんていうのが行き過ぎると、いつも肩肘張って緊張していないといけなくて、しんどくなってしまう。ダメな自分、できない自分も許すこと。不真面目な言動をあえてしたり、甘えてみたり、してみるとよい。


3、不足感を感じていると、いつまでたっても満足せず、心のポッカリを埋めるため、何かを得ようとしてしまいます。「欲しい」状態になると、余裕がなくなります。今有るもの、持っているものに気づこう。身体が動く、仕事がある、屋根のあるところで寝られる、ご飯を食べられる、安全に車に乗れる、服を着られる、ストーブで暖かい、目が見え美しい景色を眺められる、歩ける、考えられる、手が自由に使える、インフラが整っている、電話で家族と話せる、家族がいる、等々書き出して、少し離れたところから見てみるのです。在ることをからだで感じると感謝も出てくる。


自分の癖で陥りやすいパターンがあります。今回わたしは忙しくなり目の前のことで一生懸命になりきつくなってきていましたが、これは昔からのパターンのように思います。ですが、こうして気付いて切り替えることができましたので、よかったです。


「おかしい」と思ったら、立ち止まって観てみる。離れて観てみる。大事ですね。