わかってほしい(のに分かってくれない)という怒り
今ここ山の中の集落に住み始めて半年くらい。
「殺伐」、「ぎすぎす」そういう表現とは違う世界、
ゆるゆるっとした人々の在り方に驚かされています。
私は、「分かってほしい。」という気持ちを自分のこころの中に
長年強く持っていたことに気づきました。
正確に、ちゃんと分かってほしい。
だから、詳しく説明する。
論理的に、理にかなった話をしようとする。
「ちゃんと聞いてよ」、「そうじゃなくて」という気持ち。
でも、ここでの生活では
「あれ、さっきああ言ってたのに(今度は違うこと言ってる)。」
「やるって言ったのにやらないんだ。」
「自分で決めないで人に聞く(相談する)んだなぁ。」
といったことが、たびたびありました。
論理的にはおかしい、と思ってしまうこともありつつ、
でも、ここに来て、ゆるっとした包まれるような温かさに
気持ちが楽になったことも確かに体感したこと。
自分が自分を一番分かっていればいい、
人のことを批判しない、
自分が何をするかに注力する(好きなことを自分の責任でやれ)、
もらうことでなく、与えられることを考える、
今与えられているもの、してもらっていることに感謝する、
こういった人生のtips(コツ)を得させていただいているこの頃1、2年ですが、
今この≪分かってもらいたい≫案件を解消する機会をいただいているのかもしれません。
そんなに完璧に、何でもかんでも、
理解しようとしない、理解してもらおうとしない、
相手のことを分かろうとする、(話を聞く)
分かってもらえなくてもまぁいいや、
やりたいことをやる、
好きに生きられることに感謝、
人には人の人生がある、
こんな感じでしょうか。
そして総体的には、
自分の心の本当に求めることに従いやっていくことが、
より良い人生を歩む鍵かなぁと思います。