私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

小中高大学→就職、そうやって生きないとならないという概念を持っていた

会社に勤めていた時、その生活が嫌だと思いつつ、楽でもあったのだ。大学に行って、会社に勤めて、そのやり方が当たり前で、他の方法があるのが分からなかったし、自分に他のやり方ができると思ってもいなかった。皆がやってるようにやるのが王道で無難で。
とにかく、そこから外れる(当たり前と思っているのと違うやり方をする)のは、怖くて仕方ないという感覚だった。
言いなりになっている方が安全だった。

何の言いなりだろう?
ブラック企業に勤めていた訳ではなく、上司がこうしろと命令してきたわけではない。
親が言うとおりにしないと暴力をふるうような家庭に育ったわけでもない。

ただ何となく、社会の、社会全体の「こうするものだよ〜。」「こうしないと駄目だよ〜。」という風潮に従っていたのだと思う。

(従わせようという力が働いているのを、今は知っている。私にっていうんでなく、全体に。)


その当時の見える世界がすべてだと思っていたのが、「これが社会だ。」と思っていたのが、

「ぜんぜんそんなことないよー。」という感覚の場所にいる今。
とはいえ、全く違う世界にいるというのでなく、以前の世界も見えてはいるが、はまり込んでいない、離れたところにいるという感じ。(抽象表現が多くてごめんなさい)


親切なよく働く人たちに囲まれ、ちゃんと食べて生きている。二間の広い家に住んでいる。

家はオートロックの綺麗なマンション
カラフルなピシッとキラキラしたファッション
カチッとしたかわいくてかっこいいバッグ
お洒落な高い店でワインを飲む

以前は求めていた(そうならなきゃいけないと思っていた)そういったものたちは、今持っていないし求めてもいない。

何が欲しかったんだろう?

「幸せ」。しあわせが欲しかったのだ。

じゃあその【幸せ】って何?というところが、無かったのだ。
自分で決めていなかった、選んでいなかったのだ。

「そんなこと自分で決めるの?」と昔の私は言うだろう。

「そうなんだよ〜。すべて全て、自分で選べる(選んでいる)んだよ〜。」と今の私はかつての私に言う。

自ら選択することを、
慣れないことで、勇気のいることで、怖かったから、やらないで来たんだよね、
人のせいにして、隠れて、誤魔化して、来たんだよね。

でも、そうじゃないよね、
できる所から小さな一歩から踏み出してみようよ、勇気出してこれまでと違うやり方選んでみようよ。


自分にとって幸せとは何なのか?をまず選び出すのでも良いでしょう。



私も道の途上です。経験し学び中です。

ありがたいありがたい。
生きて学べることがありがたい。

さて、今日もがんばろう。