私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

自分の人生の俯瞰

人生をより良く、幸せに、豊かなものにするために、自分の現時点を把握することは大切です。
例えば、毎年年末に1年の振り返りをし、翌年の抱負を考えたりします。
過去を明確に把握し(受け入れ)、これからのことも明確に焦点を定め行動していくと、明確な結果が出ることに繋がります。

私自身のこれまでの人生がどうだったか、時系列で洗い出してみました。



小学生の低学年の頃:
兄姉や近所の兄さん姉さん、同学年の子と、野球やバスケをしたり、竹やぶに秘密基地を作ったり、そりしたり、土管の中を探検したり、草花を取ったり、ゲームや人形ごっこをしたり、そうやって遊んでいた。
クラスでは変顔をしたり変な声で話したりしておもしろキャラだった。

小学校高学年の頃:
学校の合唱クラブで姉がピアノを弾くのを自分も偉い気持ちがして誇らしい気分になった。姉の妹と言われるのが誇らしい気分だった。
私は同じクラスのある男の子と両想いだと自分も相手も周りも思っていて、その対象がいることがいい気分で誇らしい感じだった。
学校の中国語クラブや一輪車クラブなど、(上と同じことでなく)自分が興味を持ったこともやっていた。

中学校、高校の頃:
中高と兄姉のやってることを真似て部活や高校を選んだ。
中学の時みんなでキャッキャするのが苦手な感じを持っていたが、適度にみんなのように周りと仲良くして過ごせるのが良いという感覚でいた。人との関わり、人前に出ることに緊張や変な自意識過剰なところがあった。
好きな男子がコロコロ変わった。現実ではなく夢見てる感じだった。
高校では授業でよく寝た。勉強はみんながやってるからやった。"いい子"な筈なのに、何も秀でてるものがなく虚無感があった。(絵がうまいとか何かすごく好きなものがあるとか、何もなかった。)ただ正しそうなことをしていた。そこから外れたら生きてかれないと思っている感じだった。それでも日々授業に出るとか部活に出るとかやることがありそれに乗っかって過ごしていた。
大学へは兄姉も行ったし大多数のようにそうしないといけないそうするものだと思って進学した。何をしたいと決まったものがなく、周りの意見に沿って学校や学科を決めた。

大学:
大学でも決められたこと(カリキュラムを選択し授業に出ること)や皆がやっていること(バイトをしたり部活やサークル活動をすること)があるから、それに沿って生きていて時間が過ぎていった。自分の意志はなかった。(もちろんそれでも自分の選択していることなのだが。)
ちょっとの興味があればやってみて、嫌だなと思ったら辞める、そんな感じの選び方・行動の仕方だった。

社会人〜20代:
みんながやっているから就活をして、周りの人に非難されなそうだという理由(感覚)で会社を選んだ。就活はとても苦痛だった。
みんなと同じようにやらないとだめ(生きていかれない)と思っていた。
社会人になってどれくらい経ってからか具体的には忘れたが暫くして、「なんで早く社会に出なかったんだろう、大学にいるよりずっと面白い。」と思った。
仕事を中心に時間が過ぎていったが、日々満たされない気持ちが出てきて「何かおかしい。」と思い始めた。
そして手に職、技術を持って仕事をしよう(今の自分ではダメだ、足りない)と思い、ヨガのインストラクターの勉強をし挫折して、エステティシャンの勉強をし挫折した。
健康系の集まりにも行っていた。英語が比較的得意だからそれを使えばいいかと思い英語を習った。
何かの学校に行ったり団体に属したりすれば、自分の人生が満たされる、良くなるように思っていた(期待していた)。
「何か違う」と思うと仕事を変え、住む場所を変えていた。

30代前半:
年上の知り合いに紹介されネットワークビジネスをした。「これまでの人間関係をすべて壊してやれ」という破壊的な心があった。自分の納得しない過去を壊していく気持ちだった。内部の人間関係が「おかしい、気持ち悪い、もう無理だ。」と思い、辞めた。
いわゆる成功者になろう(何か凄いことをして評価されよう)という考えはまだ続き、インターネットの物販をやった。教えてくれた先生方がまっとうで自立した人としても良い方々で、物販の売上を少しずつ伸ばすことができ加えて精神的にも以前より安定した。しかし、生活(東京)・バイトの仕事・個人事業の物販、すべてが自分には苦痛になり毎日泣いて過ごしていて、それでも抜け出せずにいたところを、同じ物販をやっていた方と知り合い、アドバイスを受けて辞めた。

「満たされない。」という気持ち、「人に何とかしてもらいたい。」という依存の気持ちがおおよそここまでの人生を通じてあったのだが、それが、「自分で自分を幸せにする。」「自分の人生は自分の責任。」「自分で選択できる。(選択している。)」という認識・自覚をするようになったのは、物販を辞める頃からその後旅生活をし現在に至るまでの段階(下記)です。

34歳頃~今35歳:
都会での生活、好きでないアルバイト、副業の物販をやめ、とにかく何かしなくてはという思いと自分のやりたいことをやってみようという思いで旅生活が始まった。(旅生活の詳細はこちらの記事→自己紹介兼ねたここまでの経緯 - 私、日記を書きます。
誰かに従い依存しがちで、自分一人で生きられないことに対する、嫌気やイラ立ち、罪悪感があり、周りにどう思われようと自分の思うことに従って行動してみようと思い、その時々行きたいところに行き、したいことをした。(最初は本当に恐る恐るだった。)
各地を転々とした旅生活を経て、[自分で好きなように選べる、したいことをできる、行きたい所に行ける]ということが分かった段階でもあった。
そして、「次に何をしたらよいのだろう」と考え始めたところでまた人に出会い(再会)、旅生活を終えるに至った。

現在は、これまでの経験と得た知恵を活かし、より幸せに、自分らしく、のびのびと、喜び多く生きるというところで何をしていくか検討中です。


今こうしてブログを書くことができていること(自分だけの為に使える時間がありネットが出来たりパソコンに集中して向かえる環境があること)、ここに生きていることに感謝します。