私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

自分から差し出す。親との関わりかた

以前、心理カウンセラー心屋仁之助さんのたしかブログに書かれていた、

「損してやるー」という話。

「自分から与える」ということと同じだと思います。

 

父が自治会の用事から帰ってきました。

いつものように、テレビをつけ、何か食べ物をつまみ、コタツに入りゴロゴロする様子です。

用事で使ったものは玄関に出しっぱなし。すぐ(先に)片付けるということはできないようです。

台所の鍋を見ると洗い残しがあります。洗えていないこと、よくあります。

 

私はイライラしてきました。

駄目な親

許せない

うんざり

怒り

優しくしたくない(「おつかれさま。」と言わない。)

なんでこうなの。

 

私は、一人部屋に入り、頭の整理を始めます。かみさま(自分の中の)と対話するやり方です。

 

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親が、何十年もたまっているものを片付けません。

いつも家は汚く、臭く、ぐちゃぐちゃです。

物がかわいそう、粗末に扱われています。

 

親の家だし、親が好きでやっていることを、なぜあなたが怒るのですか?

あなたはあなたで自分の生活を整え、幸せに暮らすことができます。そうでしょう?

 

だって、死んだ後メーワク。(どんだけお金と労力かかると思ってんだ。)

(→両親ともに、亡くなったら荷物を処分してよいと言っています。)

 

親が死んだとき、ごみの片付けのことしか考えないのですか。

親に感謝すること、懐かしむこと、ありませんか。

 

そりゃ、ありますけど。・・

 

まず、一つのことで頭がいっぱいになっています。そこから離れてみましょう。

 

・・・

 

深呼吸をしてみましょう。

自分の体が機能していること、感じてみましょう。

外の太陽、鳥の声、川の音を感じてみましょう。

 

[深呼吸、感じることをやる。]

 

一旦感情を落ち着けたら、あとは(無理のない範囲で)自分から

優しさや心配りをしめしたり、やってあげましょう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーおわり

 

「あーやだ。」

「なんで・・。」

とまだ思いましたが、自分から父に声を掛け一緒に近くの温泉に行きました。

 自分から差し出した出来事でした。

 

 

他人が何をしていようと、自分が何をするか、が大事です。

私は、人のやることにいちゃもんつけて、自分のことに取り組むのをサボってたんだなーー。

 

これまで、自分のしてきたことは、自分の経験値を上げた。

親にどう言われようと、やったことはやった。それで困ったことは起きていないのだ。

田舎を離れ大学に行ったし、

習い事や資格取ろうとしたし、

個人の仕事やったし、

旅に出たし、

都度、「大丈夫なの。」「なんでやるの。」「それしてどうするの。」「行かないで。」「そんなのだめ。」など、心配からくる過干渉がありましたが、

自分が実行し、大変なことになったことは一度もありません。

(自分が痛い思いをしたとかはありますが。)

 

親の人生を否定する(「何十年と変わらない生活や習慣だね。」と)必要はないが、私は私でやろうと思ったことをやって、全く問題ない。

 

これでいいのか、これやって大丈夫なのか、自分の中で思うけれど、

だから、親が行動しないよう言ってくる際にぐらつきがちだけれど、

それでも、自分の中で吟味して納得して行動すれば、ああ大丈夫なんだって積み重なっていくはず、そう思います。