冷静は得意ですが、情熱を出すのが苦手かも。
どんな人とのどんな経験も学びなので、ポジティブな経験だけがよいことって訳ではないのです。どちらかというとネガティブな出来事も学び。
みんなそれぞれ、生きていて出来事から学んでいるのです。
だからネガティブだって落ち込むことないよ。
その上で、今日は、今あるものの喜びを味わうこと、について考えてみます。
私は割と感情的になるのが苦手です。自分が感情的になるのも、感情的になっている人を見るのも。
そして、割と冷静で客観視が得意で、たとえば仕事や家族との関係で全体の調和をはかることができます。
そんな、冷静で、落ち着いていて、キャピキャピせず、という自分が好きでもありますが、少し寂しい気がすることもあります。
思い切り感情を出せたら、いいのになぁ。
と思うこともあります。
感情的に情熱的に、表現したら、撃沈するのが怖い。人に引かれる、嫌われる、そんなこと。
じゃあ、どうしたいんだい?どうなりたいんだい?
自分に問うてみます。
ちょっとあっさりすぎて、クール過ぎて、さみしい。
でもそれは、全体の調和をはかるためでもある。自分や、周りの人たちのみでなく、地球全体が幸せな状態になるよう、と考えているからでもある。
悪いわけではない。間違っていない。
ただ、日常のいっときいっときを、クールに通り過ぎることで、幸せを味わうチャンスを逃しているのかもしれない、と思うのだ。
やるべきこと、使命に意識を注ぎすぎて、リラックスすること今を楽しむことを忘れてしまう。
わりと、これって難しいことかもしれないですね、私だけでなく。
要はバランスなのだろうけど、
はっちゃけるとか、思い切り遊ぶとか、そういう時間が必要なのかもしれない。
いや、思い切り感謝する、でもいい。思い切り褒める、でも。
計算高いからこそ、全体を見ることができ、全体のメリットのために動くことができるのだが、
その打算を出さない時も、そんな自分にもOKを出して、
計算なしの、正直なままの、むき出しの自分を出してもいいのかもしれない。
これを書いてて「怖い」って思うということは、やっぱり何か抵抗している、ストッパーかかっているんだろうね。
ガチでぶつかるのが怖い。
それって私だけではないと思う。
誰か人に倣う必要はないけれど、心に従って出来ることがあるならば、やってみてもいいだろう。
新たな自分になれるかも。