「うわー恥ずかし、やってしまった」の体験とその後
先日、私の今の考え、本音を人に少しお話する機会がありました。
その方には割とよく私の考えを言っていたのですが・・
もしかして、押し付けていた?!
その人なら理解してくれそうと何らかの期待をし偏って話をしていたかもしれません。
同意して同じ方向性に進んでくれそうと思って。
でも、相手の受け取り方はそうではなかったよう。
少し時間が経ってから、気づきました。
私は大変なことを、基本を忘れていた!
・・・それは、
人はそれぞれの人生を自由に生きていて、それぞれ選択している。
ということ。
「あちゃー。」という気持ちでした。
分かっていたつもりが、できていなかった(T_T)
私の考えは一意見であって、すべての人に正しい(適当で役に立つ)話ではない。
例えば、山が好きで山登り大好きな人たちと、海が好きでサーフィンが大好きな人たちがいて、
サーフィン好きな人が山登り好きな人に、波が来て乗った話、最高に気持ちよかった等体験を話して、さらに「なんでお前もやらないんだよ〜?」とまで言ったら、
「え?あなたが波乗り好きなのは結構だけれど、私には私の趣味がある。(自由がある。)」という気分になりますよね。
あまり、方向性や趣向の違う人と分かち合おうとするのは、調和とはならなそうです。
私は、「気づいてほしい。気づいてくれたら。」という思いで話をするの、やーめた、と思いました。
はい、やめにしました。
私が私らしくいて表現すること、それを求めている人は必ずいます。そう思います。
視野を広げて、世界を広げて、やりたいことをやってイキイキしていようと思います。
求める人には、自然と会えるでしょうから。
それと、「この人なら話しやすい」というのはどうもちょっと違う(調和ではない)ようだ、と思いました。
どの人に対しても同じように、驕らず、相手を尊重して、本音を言う、言わないことは言わない。
「誰かが特別」というのは、依存心に繋がり、対等な自立した関係性から離れるのだろうと思います。
それと、今回のやってしまったーという出来事を経て、自分が現状に飽きていてつまらなく感じているのだと気づきました。
自分で自分に制限をかけている、停滞している、という状態です。
なので、【自分が自分の人生を楽しんで生きる】というところに再び意識を戻しました。
気持ちが上がること、いい気分になること、わくわくすること、軽くなってハッピーになることは何かな?
夜の星を見ること、ハイキング、ポットにお茶を入れて飲む、車の中で自作の歌を唄う、などなどしてきましたが、
もっとグイグイ(笑)、より大きな変化につながるよう、(小さなことも大切ですが)、どんどん行動していくのが大切ですね。
恐れや面倒くささが出てきますが、都度クリアリング(浄化)をし、都度リラックスできる気持ち良いことをして、ポジティブに捉え、行動して現実を変えていきましょう。
秋分周辺でというのはたまたまかもしれませんが、気持ちが切り替わりました。