私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

違いを見ている。

人はそれぞれ違います。

私の日常生活の中に、ある見方をすると真反対とも言える人がいます。

私は、無農薬無肥料で作物を作っています。それが気持ちいいし、自然です。

その人は、慣行栽培で農業の独立予定です。

彼の口からよく聞くのは、「努力」「がんばる」「認められる」。

それを聞いて私は「ん?」と思います。

人生は、心の声を聞いて、流れに乗って、助けられ感謝して、生きるものだな〜と私は思っています。

それなので、彼の言葉に違和感を感じるのでしょう。

全然違う人を目の当たりにしている。これって何なのでしょう??


それは、違いを認めるということ。

私は、どちらかというと、「自分はおかしいのかな?」「〜〜でないと(相手のようでないと)いけないのかな。」と考えがちです。

自分を卑下するというか下に見たがるというか。

そこ、見抜いちゃいましょう。

最近はだいぶ、自分は自分、みんな対等という感覚になっています。以前に比べると。



全く考えの違う人となると、相手が圧の強い人の場合、そちらに引っ張られやすいかもしれません。

実際、昨日も相手の一意見にどう反応するか悩みました。が、結局【反応しない】を選んで、それで済みました。(相手は不満に思っているかもしれないけど。←ここが既に相手に寄り気味?!)


「ああ〜、違うんだな〜。」と感じて終わり、でいいのかもしれません。

自分が悪いのか?
いやいや、私の方がこれからの生き方に合っているし、
いやいや私の方が調和の生き方で正しいし、

など考えがちですが、

卑下やジャッジをするのでなく、「ああ〜違うんだなー。」

「私は、これを選ぶ。」「私は、これが気持ちいい。」

それでいいんじゃないかなって、今は思っています。


自分を出さないで来たのが、自分を表現するようになると、反発するものが現れる(ように思える)のですが、

違いを感じつつ、この魂(わたし)はこの魂を表現し続ける、ってな感じてやっていこう。