私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

心に従うことについて、最近の出来事

この世(宇宙)の仕組みとして、私たちの意識が現実世界に投影されます。
これは知っていますでしょうか。

じゃあこの仕組みを実際の生活で、(より良い人生のために)どう活用したらいいかと言うと、

心に従うということです。シンプルですよね。

今日はこの点にまつわる、私の体験をシェアしたいと思います。

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家を借りたいなと思っていて、そうしたら知人が「この家どう?」とおすすめしてくれたところがあり、見学をさせていただきました。

でも、実は最初お話をいただいた時点で、「いや〜ちょっと違うな。」と思っていたのです。

ですが、知人の熱量に押され、せっかくだからと見させてもらうことにしました。

とてもいいと思う部分もあったのですが、しばらく考えた末やはりお断りしようということになり、そのように連絡をしました。

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この件を経て、感情がどのように動いたか、見てみると。

まず最初「違うな。」という感覚(心)に従わなかった時点で、モヤモヤがありました。

でも人に遠慮したり、人との付き合いでイエスということもありますね。

そして、お断りする時に、怖かったのです。
「すごくいいよ〜」と勧めてくれる方に、要らないですと言うことが。

怖がっていることを深掘りしてみました。NOと言ったら相手との関係が悪くなるかも、自分の正直な気持ち考えを言ったら私を否定される、という思いがあると分かりました。

その怖がっている思いを、天に放すワークをしました。(インナーチャイルドを癒やす/書き換え)

そして、「この知人なら分かってくれる」という感覚になってから、断りの連絡をしました。

そうしたら、ここからは予想外でしたが、「私ならいい家が見つかると思うから」と言ってくれたのです。

理解ある、そして思いやりある知人に感謝し、そのような方に出会えてお付き合いしている現状に感謝しました。

「ああやさしいな〜この世界は。」と、深く感激と感謝の気持ちになりました。

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まとめ
初めは、心に従わなかったことに、良くなかったかなーと思っていたのですが、実はこれもその見方でなくてもよいのかもという考えに変わったのです。

結果的に、知人の存在や現在自分のいる状況に感謝できましたので。

あ、でも次は違うなら違うという気持ちに従って行動しようとは思いますが。

でも、今回は、「知人の熱量に押されてイエスと言ってみる」ということが心に従った行動だったのかもと思います。

困ることは起こらないというか、必要なときに必要なことが起きているので、

「こうすべきだったのでは。」「こうだったら楽だったかも。」とあまり型にはめて考えなくてよいのかもしれません。

変わらないことは、【私がここに存在すること】と【与えたものが返る】ことくらいで、

あとは、今この瞬間とさっきの瞬間で「これがいい」という法則は変わってもいいのだろうと思います。いいというか、変わるのが自然の法則というか。

分かったような分からないような、と読む人をもやもやさせるまとまりのない文章になったかもしれませんが(^_^;)、まぁただの日記なので、と開き直って、今日は筆を置きます。(笑)