インターネットを使うことについて。
一時、たくさんのSNSを使っていました。
FB、インスタ、Twitter、Linkidin、viber、wechat、whatsapp(だっけ)、など。
載せて、発信して、人と繋がって。
でも、その何年かの間に、けっこうめちゃくちゃな人との関わり方になってしまっていました。
そして、やめました。全部やめました。
苦しかったのだと分かりました。
で、日常で関わる人とだけ繋がって、地に足をつけて、ちゃんと生活しようと思いました。
今、ちゃんと(自分なりに)地に足つけて生活できています。
良い感じです。
なので、もう少し広げたくなりました。
人間関係がまっとうになったので、
「人と関わるのは怖い。」「私は人と関わるとろくなことにならない。」
という過去の出来事からのトラウマちっくな思い込みを手放すことにしました。
答えは「大丈夫。」です。
大丈夫しかありません。
妄信的なつぶやきですみません。
これには理屈がありまして、
自分がこの(自分の目に見える)世界を創っているので、
自分の中を(コントロールするというよりは)整えていけば世界は勝手に良くなっていくので、
そして宇宙はどこまでも在るので(優しい)、
失敗ということもなく、大丈夫なのです。
分かりましたか?
で、話がそれましたが、インターネットを使っていくことにしました。
ネガティブな思い込みを外すことで、精神的な制限を無くして、現実的に進めていこうということです。
なぜインターネットか?
いっとき、地に足つけるのを大事にし、「作物は地産地消がいい」と思っていて、野菜を売ることも本当は直接販売するのがいいと思っていたのです。
でも何か制限を感じて。
自分の考えは、今日常生活で関わる周りの人にはすんなり通る話ではありません。
考え方とか心理とか宇宙のこととか、自分にとっては当たり前であり真実であっても、なかなか人には通じにくい。
「分かってくれる人がいない。」という思い。
でも待てよ。そういうことじゃないんじゃないか、と。
分かり合える人の数ってもっと広い範囲で見ていいんじゃない、と。
母数を大きくするというのか。
つまり例えば、分かってくれる人/〇〇市の7万人の人口より
分かってくれる人/日本の同じ関心でネットを見る1000万人の人
の方が可能性大きいですよね。
そう思ったのと同時に、私たちはもともとテレパシーで通じ合えたり瞬間移動をできる存在で、その元のところ(と言ってもここからは上のレベル)に戻るにあたり、
インターネットとはそこへのステップを踏んだ進んだ段階なのではと思ったのです。
だから自然なことかな、と。
ということで、ネットを使っていきます。