私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

イベントいろいろ、11月。設定変更した話。

紅葉シーズンも後半です。

今月は、イベントがいろいろ。

ウォーキングしたり、ハイキングしたり、映画上映会に行ったり、セッション受けたり、トークライブに参加したり。

そして、食べ物もいろいろを楽しんでいます。漬物、干し物。

なんだか、巡っている感じ。本来の、愛である私、という状態な感じ。


「ああ、いい感じだな〜。」という状態であるためのポイントだと思うことを書いてみます。

10月は、あまりスッキリしない感じの期間があったけれど、11月は何か切り替わったような。

そこで具体的に意識したことは、

●対極を見ること
「〜でなければならない」とか「〜のはずだ」は、苦しい。で、今の思い込みの逆も見てみる。
例えば、「いつも必ず身体にいい食事をしなければならない」を「そういうの食べたいこともある」と認める。
(手放しとかブロック解除ということにもなります。)
他の例では「個人で仕事をしなければ本当に私らしく生きられない」という考えも苦しい。ので、「私はここに存在しているだけで私らしくある。何も付け加える必要はない」と見る。


●気にしない、になる。
「自分は繊細だから色々感じ取ってしまって、大変。」と思っていました。
だから、【繊細な人のこの社会での生き方、対処の仕方】というのを探してきました。
ですが、それも一つの概念、思い込みだということに気づいたのです。
「自分が繊細だ」というもの、「繊細だと対策が必要だ」「対策しなければ楽に生きられない」ということ、これらを持っていたがために、
「人と関わったら、その後一人になってリセットして元の自分に戻る必要がある」、「ずっと人と一緒にいるのは難しい」と思っていました。
でも、そう思う必要もないんじゃない?という視点を持ってみて、「繊細だけど、人の気分や感情を受ける必要はないし、必要な時は必要な情報を出すけど、あとはボーっとして、気にせず、忘れちゃう。」という感じになってみました。
「いつも筋の通ったことを言ったり行ったりしなければならない。」という考えもあったのですがそれも手放して、楽になりました。

●必要なことは必要なときにやってくる
焦らない。すべては有る、すでにあるのだから、ジタバタ結果を得ようと必死にならなくていいと思います。

●瞑想する
朝や夜に、チャクラを意識しながら瞑想します。この世界は自分が創っており、自分の中に内包しているものなので、答えは己の中にしかない、ということで、どんなことがあろうと常に自分の中を見ればよいということが分かっています。


こんな具合でおります。