私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

手放し実体験。数か月こだわって持っていたものを手放しました

いいなと思う人がいたのですが、手放しました。

 

「パートナー欲しいな。」

いいなと思う人が現れました。

わくわくしました。相手のいい面が見えました。

相手の嫌な面が見えてきました。

「なんか変だな。」と思うようになりました。

数週間、自信がない、へ~んな感じがありました。

やめよう、って思いました。

 

 

手放しをする時について。

 

彼を良いなと思ったのは、過去の自分のやり方だと気づきました。

過去にも、似たような特徴を持つ人を好きになり、最初一瞬いいかと思ったら、

その後変な感じになり、いや~な感じで終わった、そんな経験をしたことがありました。

「ポジティブに見よう。」「相手のいいところを見よう。」と思っても、

それよりなんかうまくいかないな~という、どよ~ん、みたいな

いやな感じのする場面がよりたくさん出てくるのです。

 

人はなぜ、手放せないのでしょうか?

生活習慣、考え方、大事にしているもの。

 

それは、「それを手放したら無くなってしまう。」「もう手に入らない。」

って思ってしまうからでしょう。

 

私も、「せっかくいいなという人を見つけたのに、またか。」「またうまくいかなくて、もうやんなっちゃうな。」「これでまた手に入らなかったらどうしよう。」

そう思った。そういう意識があることに気づいてきました。

 

そして、過去もずっとそうでした。

 

でも、聞いたこと、ありますね。「無限に与えられる。」「制限はない。」

 

そう、きっとそうなんです。

 

ただ、これまでの意識の中では、「これが無くなったらもう終わり。」って思ってきたのです。

 

その思い方をやめられなかったのです。

 

選択は、自由。自分で決められる。

 

じゃあ、どうする?

 

今、どうする?

 

今の、昔と違う、わたしはどうする?

 

せっかくの、この地球規模の変化のタイミング、明るい方へ楽しい方へ、変えてみようか☆

 

(こういう機会が来ないと変えられなかったのね。切羽詰まらないと夏休みの宿題やらない、みたいな。笑)

 

苦しい思いを、続ける必要はない。

 

自分を卑下して、相手に嫌われるか好かれるか心の中おどおどして、相手を批判し、批判してはいけないのにと思い、

 

そういう体験を続ける必要はない。

 

というか、私は、やめる、やめよう。

 

やらないという選択をする。

 

選ばないという決断をする。

 

なぜなら、大丈夫って知っているから。

 

手放しても、怖くない。無くならない。

 

この相手を想った、相手について、関係について考えた時間は無駄ではない、と知っているから。

 

相手をこれからは人として応援しよう。

 

しっかり、じっくり向き合った。本当に、よくやった。

 

「成果が得られないから、無駄」ではないんだよ。

 

すべてのことから学んでいるから。学ぶことができるから。

 

そして今の私は、こうして書いているように学び方を知っている。

 

大丈夫。進んでみよう。

 

靴を脱いで、新しい靴をはいて、出掛けてみよう。

 

 

ほんとうに、世界の大変化の時、私にもおもしろいように変化が起こっていく。それを肌で感じています。

 

「一生懸命、努力して、根性で、そういう古い世界(三次元世界)のやり方はもう必要ないんだよ。」

 

苦しんで、苦しんで、苦しんで、そうしたら手に入ります。というのは、過去のやり方。

 

手放そう。

 

もういいよね~。もう、たくさん経験した味わったよね~。

 

そういうことで、やってみます。