私を表現すること
(全然写真あげていないな&野菜のこと書いてないな。ま、こういう時期なので変化変革についてのことに心が向いています。)
自分が自分であるのが難しいと思ってきた。
ありのままの自分て?
ありのままの自分で生きるには?
変わっている(これまでの3次元の世界では中々うまく適応して生きられない)自分を出せる場として"スピリチュアル"な人やコミュニティに関わってみたものの、
それも違うと分かり(分かるまで時間掛かっていますが。)、
そうでない世界(つまり自分のとーさんやかーさんとかも含む、魂世界・宇宙のことが日常でない普通の人たちの世界)で、いかに自分として生きるかだと思い、"スピリチュアル"な人たちとの関わりは断ってきた。
だが、自分の現実(3次元の世界)がまっとうに、より良くなっているのと同時に、ほんとうのスピリチュアルな存在との関わりは深まっている。
別の言い方で言うと、ワクワク(以外にも前の記事で書いたようなこと)で生きることに注力して、マインドを浄化して波動高くいることに注力して、愛・光・調和で生きるようにして、自立している(自分軸でいる)ことに注力して、そうして生きている。
今の自分ができる「自分を表現する」こと、これはどんなことだろう?、どうしたらよいのだろう?と思ってきたが、
今日はまた一つ、自分の考えを近くの人に話すことができた。
ここまで3ヶ月くらいこの「普通の人たちの中で自分を表現する」ことにトライしてきたが、
・ペラペラ何でも喋ってしまう人でなく、信頼できる人。
・私の話を落ち着いて受け止められる人。
こういう人に話すという結果になっている。
中々通じない人にいくら工夫して話そうとしても、やはり聞く側の受け止める力も必要なので、そういうことになったのだと思う。
話をして、ちゃんと理解してくれて、同意してくれて、積極的に興味を持ってくれて、というのでなくてもいいのですが、
話を終わりまで聞けて、日本語を理解して、受け止めて下さると、それでOKです。
しばらく人(自分も含めて)の観察をしていて、人は結構勝手な(好きな)ことを言っているな、と思ったのです。
永遠の、絶対の真理でなくとも、今思うこと、今頭にあることを言っている。
私の言うことが、ちょっと変わったマイノリティの話でも、そんなにメタメタに否定されたりすることを恐れる必要はない。
(喋り方、尊重、内容に注意する等は押さえているので。)
すごく同意されることはなくとも、別に良いのだ、自分の好きなことを正直に表わせているから。
「なんだかこの感じならもうちょっと、ちょっとずつ、私を表現していけるかも。」てな風に感じられたのでした。