やってくれていることに、ありがとうと言う
母に言った。「お母さん、洗濯とかゴミ捨てとか、いつも朝のことやってくれてありがとう。」
母は、「え、洗濯干せってこと?」と言った。
私は続けた。「私も掃除とか夜ご飯作ったり、ここに住む一員として、お母さん達をサポートできてうれしいよ。」
母は私がいてくれてとても助かっていると言った。
母を喜ばそうと思って言うのではない。本当にそうだから、そう思うから言うのだ。
言う時は勇気がいる。言葉がスラスラ出てこない。言っている間も恥ずかしい。
それが自分の現在地。
自分が子供のころから、感謝や愛のある言葉が当たり前に交わされる家ではなかった。
子供のころは、なぜこの人たち(親)はいつもギャーギャー互いに文句を言っていて、それなのに離婚しないんだろうと思っていた。
なぜこんな家庭なのかと不満に思った。
テレビや他人の動画を見て、温かい言葉を交わしている家庭がいいなぁと思った。
不満と他力本願。
20代後半くらいから、自分の道を探し始め、人生はすべて自分次第だと学んだ。
他の人がどうしていようと、自分がどうするかなのだと。
以前は、行動するにしても人にそそのかされて?やっていた。
人が言ったことを、やればその人に気に入られるからという無意識の心理で行った。
3か月毎日、親に電話をして「愛してるよ。」と言い続けたこともある。
それはそれでよくやったと思う。でも、強制されてできたこと。
今朝の自分が、実際のレベル。
まだここか、と思う。でも、今ここに立てていることを誇りに思う。
不満を言っていただけの頃より、少しは進んだのだから。
一つ一つやっていこう。