私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

テレビを見て感じたこと。家族とは。

===家族というものについて====

 

親に対する不信感があったり、

家族って何なんだろう、何でこの人たちなのかと思ったり、

煩わしい、距離を置きたい存在

 

そういうところから、

 

産んで育てていただいて、感謝

共に学ばせていただく存在なのだ

 

と考えるようになり

 

実家に帰るようになり、

自分のできることをするようになりました。

家事とか片付けとか

 

 

でも、相変わらず心から安らげる存在とか

大切なものとは正直思っておらず。

 

 

 

朝、たまたまテレビをつけたら、

自給自足をしている方が取材を受けていて、

「家族と一緒に過ごすための時間を作る」とお話されており、

私は少し衝撃を受けました。

 

家族と一緒に過ごしたい、

家族といるのが幸せだ、

家族と過ごす時間が大切だ、

家族が愛おしい、

 

そういう感覚がなかったからです。

 

(本当はそうありたい気持ちもあり、理想として。)

 

役割として、

男と女がそろって、子どもを作り、

社会を構成する最小の共同体として、

家事を分担する仲間として、

居る

 

のではなく、

 

ただ居て愛おしい、大切な存在。

 

・・これは、無かったな~~~。

 

 (いや、美化した理想かもしれないけど、)

 

 

もしかすると、

これは、このように“家族”について悩んできたのは、

私の家だけのもんだいではなく、

父母の育て方や家系のもんだいっていうことではなく、

 

社会全般として、

現代社会の在り方が

 

家族というものへの違和感や居心地の悪さ、

を生むきっかけになっているのかもしれないと思いました。

 

 

お金の為に働き、

スーパーで食材を買って、

便利な調理器具でサッと料理をし、

空いた時間にテレビを見て、

ボタン一つで湯を沸かし、

ボタン一つで洗濯をし、

スイッチを入れてエアコンやコタツ(冬は)をつけ、

 

 

そういう生活が、

当たり前のそういう生活が、

 

家族っちゅーものへの

違和感を生んでいるのかもしれません。

 

 

家族というものへの違和感や不信感は、

自分の存在意義への不安定につながり、

居場所が無いと感じる不安感につながります。

 

 

『目の前の人は自分の鏡』と言ったりしますが、

 

家族に違和感を感じるとしたら、

自分自身に対しても違和感があるということ。

 

自分も現代的な、魂が活き(生き)ていない生活をしている。

それが、家族の姿として、目の前に映し出されている。

 

 

それが、家庭に対する違和感の正体。

 

そう考えると、なっとく。

 

 ちょっと分かった気がします。

 

 

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[かりんの木を発見]