私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

どうやって何を基準に選んで決めるのか

前回の記事で【正解】を求めていた当初の自分がいたと書きました。


【正解】、何が正しいのかを分かってそれを選んで安心したかった。
これまで生きてて長いこと正しそうなものを選んでいました。

けれど、選んだ結果、あまり楽しいことにはならず逆に苦しいことになった。

例えば、旅生活を始めた当初アルバイト先を決めて採用が決まったのは良かったけれど、職場が合わず予定より期間を短くしてもらうことになったとか。


それでしばらく旅生活でやりたいことをやっていくうちに、
(WWOOFをやろうかどうか、
どこの受け入れ先を選ぼうか、
どれくらいの期間やろうか、
など自分で決めて事を進めていくうちに、)

「楽しそう、やってみたい、だからやろう」そういう基準で選んだ方がいいんじゃないのか?
とある時ふっと考えが浮かんだのです。

(そう思う前の数ヶ月間で読んでいた本は、アニータ・ムアジャーニ『喜びから人生を生きる!』、また心屋仁之助さんのブログに書かれていた内容で[問題解決よりも楽しいことをしよう]ということ、どちらも大きく影響を受けています。)


ネガティブ視点からの願望でなくポジティブ視点からの願望に沿うこと。
「○○がないから、やらないと。」
「~~しないと大変なことになるから、やらないと。」
ではなく、
「これやってみたいから、やってみよう。」
で選ぶ。決める。


これに気づいた時から現在もこの選び方の基準を持って道を進んでいます。

「こんなお気楽な考え方でいいのかな」と思うこともありますが、私のハートは、そっちの選び方のがぜったいイイ!って言っていますので(笑)、もっとこのやり方でやってみます。
(それで何か違ったらまた修正すればいいし。と今は思えます^^ )


思い返せば、大学を卒業し就職しましたが新卒の就寝先を含め何かを選ぶ度に正しいことを選ぼうとしていました。休日にすることとか勉強することとか。

正しいって、結局、周りの親族とか世間の目とか何となくの一般的な意見に合わせようとしたものってことなのですね。

それがいいか悪いかってことじゃなく、
これまで正しいであろうものを選んできたけれど、なんだか生きてて苦しかった、だからやり方変えようって変えてみたということです。

どうやらそうして生きた方が、魂の抜けた空っぽの存在ではなく生きている感じがするぞ、というのが今のところの感想です。

次回は選択するときの不安について書けたらいいなと思います。(未定)