私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

【意識が現実をつくる】を現実の生活に活かす

意識が現実をつくっているということは知っているのですが、「う〜ん。なかなか厳しいな。」という現実の状態がありました。

ネガティブな人との関わり方です。

それに対する突破口が見えたというか、少しそこから抜けた感を得たので、どういう経緯を経たかお話させていただこうと思います。


ネガティブな人が見えている、ネガティブな状態に目が向く、ということは、自分の中にもネガティブがあるということですね。(意識しているということは在るということ。自分の意識の投影が目の前の現実なので。)

まずは、自分の中のネガティブを受け容れること、在るということを認める(拒否拒絶しないで)。その上で、自分は自由に選択できるという事実、私はポジティブを選択する。


ネガティブな状態の人とは、実際は距離をおきます。あまり関わらないようにする。それは、不親切にするとか睨むとか意地悪するとかということではなく、必要な部分では関わるし、思いやりを持って接するし、他の人と同様に尊重し関わる、が、個人的な話には踏み込まない、特にネガティブなことには絶対に首を突っ込まない。

そして、その人のみならず、悪口噂話やそれをしてる人とも距離を置く。それはまた、必要以上に踏み込まない、個人の領域に足を踏み入れない、ということです。例えば、重そうな物を持っていたら手を貸そうか?と声をかけたりはするということです。

ネガティブな人やネガティブな状態状況には、遠くから(距離を置いた状態で)愛を送ります。普通に親切にする。許すこともする。(例えばネガティブな状態の人は機嫌が悪く、感じの悪い^^;態度を取りますが、許す。)

また、自分の過去の栄光や辛かったこととも距離を置く。手放す。時間軸でこうなってああなってと記憶しているものも、自分の特定のフィルターがかかっているし、思考が凝り固まってしまっているなと気づき、過去の記憶に執着するのをやーめよっとした感じ。

そして未来の自分(ハイアーセルフ)に引っ張ってもらうとすれば、どんな未来か?何を望むか?考える。

私の場合は、「一人ひとりが自ら気づき、自らを高め、全体としてより良い状態になっていく」ということを望みます。そして「ネガティブな思考、恐れからの行動、依存」からは距離を置き、自分の気持ちの中ではオサラバします。(在るのは認めるけど手は繋がねーぞ、みたいな。)



こんな感じ。これで抜けた感が出てきました。

こうなるには、距離を置くという実際の行動があります。一歩踏み出す勇気、決意みたいなものもあります。例えば、関わらないぞと決めたときの「〜〜したらどうしよう。」「〜〜になったらどうしよう。」という気持ちも手放していくのです。そこを超えて行動するのです。


*手放すというのはどうやるかというと、慣れないうちはイメージをするとやりやすく、バシャールの電球外しや並木良和さんの胸の前に取り出して宇宙に放って新しいもの(光?)を入れるというのを私はやっていました。(どちらも人づてで、大体な感じで。)