私、日記を書きます。

心のべんきょーをしながら、好きなことして生きてます

「怖い」「足りない」と思っていることに気づいた。

昨日は夕方ちょっと気分が落ち込み気味になっていて(波があるのです。)、まずは落ち着こうと動きを止めました。

空を見上げたら、星がきれいでした。火星、土星木星がくっきり見えて、「きれい〜。」思わずウルっとしました。

何光年も離れた他の惑星が、太陽の光を受けて輝いている。それを地球で見ている。

感動して、気分が少し落ち着きました。


ご飯を食べながらインドのAkikoさんという方の動画を見て、またホッとしたのですが、

そこから、自分が今の現状を足りないと思っていたり、人に好まれない(はぶかれる)ことを怖がっているんだな〜と気づきました。

いわゆる恐怖からの行動ってやつを(まだ)しているんだなーと。

いい人間になろうと一生懸命だったのかもしれない。

あれやらなきゃこれやらなきゃと成果(結果)を求めていたり。

苦しいと感じるのは、ハイヤーセルフ、つまり本来の自分と今の現実を生きてる自分とのズレがあるからというのは、いろんな人がお話しています。(私は最近は岩瀬あきらさんの動画を見て参考にさせてもらっている。)

もっと単純に、【苦しい】=そうじゃないよーってことだと気づいていいのかも、って思いました。

だって普段、苦しいって感じても、何が正しいのか?って考えてしまうから。

例えば、買い物に行って、お菓子が食べたくて、でも棚に並んでいるのは添加物の入ったものばかり。

「ああ〜こんなの食べちゃだめだし、でも食べたい、どうしよ。はあ〜やだな〜。なんでこんな世界(責任転嫁?!)。」と思考がぐるぐるするのです。

ここで苦しさがやってくるのですが、「正しいのは身体に悪い添加物の入ったものは買わないことか?それとも食べていいのか?」なんて考えていて、

苦しい〜という感覚が来ていることは気づかない(自覚しない)でいたりするのです。

こういうことめっちゃやってますね日常・・やってましたわ。


ここで一つ、解決策というか、こういう思考ループの習慣を変化させる見方がわかりまして(上述の岩瀬さんの動画からヒントを得て。)、

ニュートラルになるには、こっちの極とあっちの極とどっちも認めることだ』、という話。

先程の例えの食品の例でいけば、無添加や手作りのものは良くて、添加物の入ったものは悪い、
無添加]良ーーーーーーーーーーー[添加物入り]悪
という見方。
良い方を選ぶべきだけど、どうしたら??というところで、
一旦、[添加物入り]でもOKなんだよってことを認めるのです。悪ではない。

そして、
「これ(無添加)はいいけど、これ(添加物)でもいいよね。どっちもあり。いいんだよ。その上で、どっち選びたい?」と両方(両極)を認めた上で、どれを選びたいかを自分に選ばせてあげる。

答えはその時々で違うと思うのです。一瞬一瞬違う自分なので。

これを生活の中で適用してみると、とっても楽になるかも〜。

いろいろあるからね自分の中で。例えば、
自然農は良くて慣行農業は悪い。
少食であるべきでたくさん食べるのは良くない。
きちんとしてるのは良くてだらしないのは良くない。
手作りは良くて、コンビニは悪い。
敬語を使うべきで、敬語じゃないのはだめ。
などなど。

特定の何かに執着してしまうと、苦しいかもね。
一旦どれも認めてみる。認める。それも有っていいというか、それも有るよね〜と。

そのうえで、どれ選びたいかな〜?と。

やってみよう。